花柄ぼたもち

50代後半の働く主婦です。子供は成人して今は夫と柴犬(胡麻)と暮らしています。解決できない問題がたまに見え隠れするかもしれませんが…基本普通の人の個人的な日記です。万年初心者ですが英会話学習者です。

願い

元旦に届いた年賀状の1通 「話がある」と。

昨日恐る恐る電話した。悪い病気になっていて「来年の年賀状は多分書けないから…」

治療が辛いことや家族が優しくしてくれたり離れたところに住む子供が心配していて、という話を聞いた。

病気の名前とステージを聞いて言葉を失ったけど「大丈夫な気がするから治療がんばって」とだけ言えた。ありがとうと言ってくれたからそれでよかったのかな。いい年して言葉が見つからないのが不甲斐なかった。

新年から腹立ったり落ち込んだりダークに沈みこんでいる私だけど、力なく、でも明るく達観したような口調で辛いことを話してくれる友人、そして家族の人達。その場所が崇高に思えて自分の悩みの俗っぽさが情けなかった。でもその俗人の悩みから抜け出すことが今年の目標だ。愛する家族に看取られたいし看取りたい。それがいないならひとりぼっちの方がいい。

年賀状は面倒で嫌だったけど「年賀状で繋がってる人には伝えたかったから」と言ってくれた。そして青春時代を彩ってくれた数少ない友達はやはり本当に大切だと思える。当時彼女は成績優秀ゆえの悩みを聞かせてくれた。「頭いい人はやっぱり面白いわ」と思ったエピソードがいくつも思い浮かぶ。

「会えたりする?」

いいのかわからないけど言ってみた。入院の合間の体調のいいとき会ってくれると言う。喜んでくれているように思えた。

絶対亡くなってほしくない。

さすがに今日はいいことを書きたい

3が日が過ぎた。

娘の帰省にテンション上がりまくってた年末から一転

年明けから最悪なことばかり続いた。

身内が集まるときのあるあるではあるのだが次第に大きなものになっていると思う。

今は娘が帰っていってしまったさみしさ、折角の帰省だというのに嫌なものを見せてしまったことへのすまなさ、情けなさでいっぱいだ。

でもここでソファにひっくりかえったらずぶずぶ沈みそうなので、娘を送って帰宅したてそのまま、背筋を立てPCに向かってみた。

さすがに今日はいいことを書きたい...

いいこといいこと...

今回は娘といろいろ話せた。夫という人間と生活する上のまさに同志だったから、今回の出来事全ての原因を理解している。

高校生の時、自らの心を守るため、あのけったいな性格の父親とのかかわり方を編み出したということも聞けた。

全てを知る者として、私の「そんな人間の妻でいたくない」を見守ることを約束もしてくれた。

娘に甘えることなく、自分の力で新しい道を模索しようと思う。

 

アンハッピーなニューイヤー 我ながら嫌になる

新年だというのに
これまでになく、これまで思ったこともない【離婚したい】気持ちに襲われてしまった。
今、この男の妻でいることがのすごく嫌だ。

昨日は夫の実家で過ごした。
姑が「暑かろうと寒かろうと誕生日でもなんでも電話の1本もよこさない、お金を返せとかくれと言ってるんじゃない、気持ちがないのが情けない、老い先短い自分達にとる態度か」と夫を責めた。
全くの同感だ。お金を借りたり家を担保に入れたバツの悪さからなのかなんなのかわからないが、普段夫は実家に連絡することはないし(私の知らないところでは連絡しているのではないかと私は長年思っていたものだ)お盆やお正月、慣習として行かなくてはならないときもほぼ無言なのだ。何を聞かれても返事と言えるようなことは言わない。なんらかの言葉(声を出すだけ)を発して終わる。そして目を瞑っている。目を瞑るって…ホントあり得んと思う。
私の実家でも同じような態度だ。内容に関わらず、自分のことを言われるのが嫌なのだ。
悪いことにそんな夫の代わりに義父母に言葉をかけるほどの嫁じゃないんだ、だって夫を飛び越えて愛せるような人たちじゃない。(冷たく見えるだろうことは承知している、だって説明なんてもうできないから)

長年みんなに顔向けできないことをしてきて、その事を素直に詫びるには夫はプライドが高すぎるのではないかと私は思うが、返事の返ってこない質問を投げ掛けた者の気持ちは私が一番知っているんだ。そして私はそれに慣れてしまっている。
けど姑の言葉を聞いて、実の親にさえ情けないと言わせてしまうこの人間が自分の夫だということがこの上なく情けなくなってしまった。

夫が席を外したとき姑が「育て方が悪かったんやろうね」と言った。以前も同じ言葉は聞いたことがある。
しかし人間は親だけが育てるわけじゃないしいろんな場面で生きて形成されていくものじゃないか。
説明は愚か弁解する努力もしないってあまりに周りをばかにし過ぎじゃないか。
ある種の発達障害ではないかとも思わないでもないがそれをフォローしようという気持ちになどなれない。理由は簡単、私は夫に感謝できるようなことは何もないからだ。可愛くないバカ息子と暮らしているようなもんだから。

感情のまま嫌な文章を書きなぐって読み返さずアップすることにする。
読んだ人は新年から不愉快な文章だと思う、それは本当にごめんなさい。

離婚できないかな

お正月だというのに
離婚ってできないのかな、と考えている。
勝手に無鉄砲に自営を始め、家のお金を持ち去り、さらに借り入れを重ね、家に入れるお金がなくても意地で事業を続けた夫。その間私に何の説明も弁解もしなかった夫。「お金を入れてくれないと生活できない」と訴える私に逆ギレして「仕方がない」としか言わなかった夫。貯金が底をつくことを言っても自分の会社の資金繰りの方がもっと大変だと言う。話にならない。思えば結婚生活のはほとんどが不安な日々の連続だった。意地で続けた事業を諦めたのはほんの数年前、今は夜勤の工場生活。事業の方も残債を片付けるまではたたむこともできず続けているがその内容については私は知らない。とにかく夫は何も言わないのだ。

こんな家庭なんてそうそうないと思う。

さんざっぱらここに顛末は書いてきたが、その間そんな夫と離婚することを考えたことはなかった。理由は、建てたばかりの家のローンの支払いや娘を成人させることが一番優先すべきことだと思ったからだ。本当に命からがらのところで娘は大学も出せたし安定した職にもつけることができた。条件変更で支払いを伸ばしたこともあった住宅ローンもちょこちょこ繰り上げ、私のボーナスはほぼつぎ込んでいるのであと1~2年で完済できる予定だ。
完済したら必死で老後資金を貯めよう、と前向きに考えていたが、今日夫の実家に行き、ふと離婚を思い立ってしまった。
現実にできるかは熟考しないといけないし可能かもわからないけど少し勉強してみようかと初めて思った。
きっかけは姑の発言。小さいことだ。
長くなったのでまた次で書こうと思う。
今日も疲れた。

家族事のある時はすんなりいかないようになっている

明けました。

おみくじは大吉の初詣まではよかったけど。

新年早々感情的になってしまった。
しかも母に。
母のお節料理を美味しく食べた…まではよかった。

なんだろう、新聞が大好きで世の中のことはよくわかってる人間だけど、年齢のせいだろうけど私のような身近な者に対してすごく無神経な発言をする。そして私のように複雑な気持ちで生きてるタイプの弱点にグサッと刺さってしまうことに気付いていない。
同時に娘も同じ気持ちになったけど、当然私よりは余裕があって、でも「それはないよね」と優しく言ってくれて。

「年寄りだからわからんのにみんなに責められる!」
「いやいや、あまりにも酷いこと言うから」
「そんなこと言ってない」
「覚えてないって言ったら言わなかったことになるわけじゃないのよ」

話は終わらせたけどモヤるモヤる。
やっぱり、なんで母はあんないじめみたいなこと言うんだろうという思い、そして年寄りなんだからこちらが頑張って流すべきだったのかって思い。

今頃 被害者意識を増幅させていると思う。反省とか、もう無理だよなぁ。
歳を取るとこんな悩みもできるし増えるんだよなぁ。

ま、私の器の問題か…努力しよう。
なんて元旦😭

今年いちばんの出来事は会えなくなった人のこと

年初に思い立ってここに思いや出来事を書き始めた。他の多くの皆さんのようにマメに更新は出来なかったけど時折人に言えないことや言うほどのことでもないことを綴っても、誰からも咎められないし紙に書いて手放すような感じで気持ちがどこかスッとする。

今年も終わるなぁ。
迷ったけど、そして具体的なことは書けないけど
今年長年会いたい、いつか会えるかもと思い続けていた人が不慮のことで亡くなった。異性ではあるけど恋愛関係とかではなくで、でもある特別な理由で一生会えない人になってしまったのだけど、偶然ならいいだろうとか、きっと会えるとか思ってきた。
「どうやって乗り越えたの?」
「どんな風に生きたの?」
会っても聞けないかもしれないけど、でも聞けるかもしれないから、そのバッタリが根拠なく起きると信じていたのに。
本当に絶対に会えない人になってしまったことが苦しくてオカルトみたいな本なんかも読んだりそれはそれはじたばたした。会えないなんて絶対嫌だから…幽霊でもいいから現れて欲しいと今でも思っている。

今年を振り返ろうと思ったら、やっぱりこの事がいちばん大きな出来事だった気がして書いてしまった。
こんな記事で今年は終わり😅。

才能がない 私のお餅は丸まらない

夕べ、帰省した娘と再度ボヘミアンラプソデイ

「メルカリでクイーンのベストアルバムポチって聴きまくってるのよね~」
「はいまた釣れた~🙌ってね」
「そうそう、釣られた釣られた、釣られて上等」
とか大笑いしながらイオンシネマへ。

1回目よりもさらにフレディの孤独にフォーカス、感情移入。
でも仲間や家族や友達に恵まれたいい人生だったんだ。

帰りの車中に流れるクイーン、観る前とは少し違う気持ちで聴く。

昔から娘とは感想は個々の胸のうちに持ちつつ、同じものを観たり聴いたりしてきた。カラオケでてきとーなマイケルやらビリージョエルやったりとか。離れて暮らすようになりそういう機会も減ったから久々の昨日はそういう意味でも懐かしい感覚を味わえた。
遠方から帰省したばかりなのに付き合ってくれたことがありがたい。

今日は娘とふたり、母の家の掃除を手伝い輪飾りを掛け、そして大騒ぎでお餅も丸めた。

うちはずっと母がお餅をひとりで用意してきたけど、今年は初めて3人で作業。
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実は娘の中学時代、PTA役員でその担当になり、我ながらあまりに手際が悪く、どうにもやり方がわからない、しかもなぜか私以外その作業がプロ級に(そう見えた)上手くて(皆さんやり慣れてるんだよね、横着に生きた私が悪い)…小学校も違って知り合いもいない中、恥ずかしくて拠りどころなくて…まあまあトラウマでもあった。
そして…本日も結果は散々。

向いてない。
あんこがどうにも包めない、平餅もぼこぼこ…
初心者の娘はまあまあこなすじゃないか

「おかあさん、お菓子作ったりマメだったのに」
「わたしゃ分量計って作るのしかだめなんだわ、きっと」

私作のやつは直ぐ焼いてみんなで食べた。味は充分美味しかったよ。

この作業、長年一度も母を手伝ったことがなかったけど、機械製とはいえ、時間に追われる重労働だと身を持って知った。これまでに感謝だ。

仕事終わり、娘帰省、わ~い

今日は休日出勤

月末の仕事と掃除を大ダッシュで済ませて、折角作って来たしお弁当食べてから帰ります。

 

夜には娘も帰省するから心がウキウキしてます。

駅がごった返してて「入り口もわかんない~」とLINEが来て心配したけどどうやら乗れたもよう。

「外食多かったから粗食でいいよ~」も、仕事納めでほっかり気分の私には嬉しい言葉。

夫は今日も夜勤だし(今日までね)まだ観れてないと言うしもう1回ボヘミアンラプソディ観よっかな。

いろいろ今日は幸せな気分だ。

100歳以上とか生きなくていいと言っちゃったけど

昨日のオンライン英会話の構文

Do you hope to live for more than a hundred years?

あなたは100歳以上生きたいと思いますか?

 

冗談にしか思えなくて生きたいとは思わない、と笑って即答した私。

「どうして?」  ものすごく驚かれた。

「.・・・」  (当たり前だと思うんだけど)

 

この質問、冗談なんじゃないの?と考えていたら

「私は生きたいわ。TVで130歳まで健康で生きてる人も見たし。

高齢になったときは子供や孫がお世話をしてくれるから自分の老後が楽しみよ。」in English

 

以前フリーカンバセーションのレッスンを受講していた時は、稚拙な単語力を駆使してお互いの生活の話をよくしていた。親戚なども含めた大家族で生活しているフィリピン講師は多くいた。専業の人もいるけど昼間は別の仕事をしていて、悲しいことに肉体的に疲弊していく様子が見えることも何回かあった。

しかし彼女たちの根本は本当に明るいと感じる。その原動力は家族に対する思いではないかと思う。愛する家族のために頑張る彼女たちは利他的で美しいと思う。そして真面目で聡明だ。

以前PTAで知り合ったフィリピン人の女性は水商売をして国に仕送りをしていたが同様に明るく賢かった。

 

う~ん

家族のために無欲で頑張る…

ある意味理想だ。心からそう思えるなら体は辛くても心は元気でいられるかもしれない。

とは言え日本人には日本人に与えられた環境がある。娘に老親(私達夫婦)のことで物心両面負担をかけるなんて絶対耐えられない。

 

彼女たちの頑張りに敬意をもってレッスンはコツコツ続けていこうと思っている。

やっと年賀状を投函

先日刷った年賀状

 

www.nadarenoyes.com

 

気の重かった一言メッセージ、夕べやっと書き終えた。

年末バタつくのがわかっていてもどうにも気が乗らず例年このくらいまで放置してしまう。昨日は 椅子から立つとだめだと思い、オンライン英会話を受講した後その体勢のまま一気に作業をした。

書き始めると、そうはいってもひとりひとり違う相手だということを思い知らされるというか…不思議と同じ文言にはならないものだ。

何はともあれ仕事が休みに入る前に終えることができてよかった。

 

年賀状が苦になる一番の理由は、私が半端なく悪筆だということもある。

「私、字が下手なのぉ」とおっしゃるどんな方より下手だ。いや、私より下手な人間なんてそうそういないと思う。中学生くらいかな、気がついたらみんな上手くなっていて取り残されたと感じた記憶がある。娘には小5くらいですでに抜かされた気がする。

文字を書いていると1文字中ですでに飽きるというか大きく手を抜かずにはいられない(省略したくなる)といった気分の落ちる感じがある。書くことに関しての根気のなさはどこかしら.生まれつきの...?     とか分析しても仕方ないんだ、弁解したって下手なものは下手。

昔、当時の同僚の男に「大概女の子って字がきれいなもんだけどね」と言われたことがある。そう、汚いって感じの字。字を知らない人(ちょっと嫌な表現で咎めるけど)の次くらいに下手なんじゃないだろうか。

たまに、天才的に頭のいい人で文字のヒドい人っているけど、それはそれで下手な理由がカッコイイから逆にうらやましいし。

社会人人生としては、ラッキーなことにPCの時代が来てストレスを感じることはあまりなくなったけど、子育て中は学校の提出物もあったし、病院の受付や役所の書類、恥かきスポットはそこここにある。

DVD付きwのペン習字の本を買ったこともある。懲りずに一昨年は高望みはやめて、毎月送ってくるタイプのカワイイ字wwwを練習するってのにも手を出した。

結果は言うまでもない。理由についてはご想像にお任せだな。

年賀状の送り先の中には文字を生業としている人もいるんだよぉ。

この件は全くの自己責任。

さざんかに託すのは

夫が夜勤の仕事をするようになった3年ほど前から

朝は私が夫の愛犬の散歩をしている。

今時期、通り道の家並み、多くの冬枯れの庭先にさざんかが明るい色の花をつけているのを見る。

全国的な慣習なのかは知らないけど、このあたりの小学校では入学記念にその苗木が贈られる。

どこの家のさざんかも大きく育っていて、あの家からもこの家からも子供が巣立って行ったことを思わせる。

隣の芝生だ。

たくさん花をつけた木はその家の幸せを物語っているように思える。

そこには平穏な時間が流れていったんだろうなと思う。

 

我が家のさざんか…生垣にと数本植えた樫の木が、さざんかの隣の1本だけひと際大きく成長し反対側の半分しか成長しなかった。花も小さい。

昨年突然そのことが気になり始め、思い切ってその樫の木を切った。

手伝いはいない。庭の樹木に気持ちを向ける人間はうちにはいないから。

(ただ夫は草取りは思い立った時徹底的にやる。目先のことだけ考える、大きく先を見通せないというのも夫の特徴だ。)

前日からごめんねを言って塩やお酒をかけ、高木を倒すのはミドルな私には相当の重労働だったけど…おかげでさざんかは、相変わらずの半分ではありながらのびのびと枝を広げ始め、今年付けた花は以前より大きい。樫の木の分開いたスペース、君が自由に使っていいのよと声掛けはしているけど…気づいてくれるまで時間がかかりそうだ。

変えられない現状にもがきながら、変えられる可能性のあることに希望を託して、我が家のさざんかを見守っていこうと思う。

余談だけど.1mほどのところで切り倒した樫の木、私なりに弔い見送ったつもりだったけど、積極的なひこばえ状態。定期的に刈り込んでいるけど生命力あるんだよ。

殺生せずすんだのは嬉しいと言えば嬉しいけど。当の樫の木さんはどう思っているのかな。

何も起きていないときくらいは

連休明けの今日

いつも通り休み明けは仕事がたまっているからばたばたと忙しい。

 

普通ダイヤの生活に入ると気づくこと。

私は友だちと会ったりちまたの行事にからめて

自分のなかでもやもやを拡大させて自らの首を絞めていると思う。

ないものと戦ってしまっている。

 

職場の不満もないわけじゃないけど 与えられた仕事を片付けていくときは集中できて気持ちがすっきりしていると思う。

何も変わらなくても気持ちよくいられる時間もあるんだ。

つとめて機嫌よくいることを意識して生活しようと思う。

 

賢者の贈り物を思い出してイブを憂う

近くの道の駅で花柴を買って暮れのお墓参り 夫と母と。

母は足がとても悪いので大晦日近くの世の中が慌ただしいときに出かけると危ないので、少し早めに。

以前はやりきれない気持ちを立て直すためにひとりでよくお墓に行っていたな。お墓にお願いしちゃいけないっていうけど「お金がありません!助けて下さい!」って手を合わせていた。

叶えてはもらえなかったけど今時点での生活はできていて、娘を自立した社会人にできたから、できる範囲でご先祖様が頑張ってくれたのだと思っている。

だから今手を合わせるときはまず、「母のことをお願いします。」そして「私たちが穏やかに生活できるよう見守って下さい。」とやはりお願いごとのようなことを心の中でつぶやく。

大きい意味で叶うなら贅沢を言うつもりなんてない。

 

 満席で入れないことも多い和食屋さんでランチ。

個室以外はガラガラ。

クリスマスイブはやっぱりみんな洋食屋さんに行くんだろうね。

日替わりのプチランチは鶏のから揚げ&海鮮丼だった。

2人だし気分じゃないし、クリスマスにケーキも買わない我が家、たまたまのチキン食べたし予定外のクリスマス達成!

一応玄関にリースは飾ったんだよ、よく見ないとわからないくらいような低クオリティのだけど。

 

軽い夕食をとり、夫は今日も夜勤に出かける。 一緒に夕食を食べるのは週に2日程度の我が家。娘がいた頃は、摩擦も多い中、家族でイブらしいこと楽しむ気持ちだってあったんだけどね。

大学生の頃、オーヘンリーの賢者の贈り物を読んだ。ペーパーバックのあの本、この家のどっかにあるはずだけど。

こんな未来を予想もしなかった頃、若い素直な心で訳したの。貧しい夫婦のクリスマスの愛の物語だよ。

うちは貧しいだけだけど...

なんなんだよぉ。

年賀状が苦痛です

年末の折角の3連休、何かを片付けないと

休み明けに自己嫌悪すると思うのだけど

やる気が起こらずこの時間までだらだら過ごしている

 

昨日は通常の土曜日よろしく週1のまとめ買い

いつものように母とスーパーのはしごをした後

150円のあらでブリ大根の夕食を作ったほかは何もせず

夜になってから、これではいけないと焦りはじめ

年賀状だけは何とか完成できた

出来るだけインクを消費しないデザイン

地味だけど、この年齢でもうはりきることもないと

心から思う

宛名も印刷だし、手書きのひとことは今日ゆっくり書こうと思ってたけど

どうにもやる気にならない

 

いつものように、しみったれた日記になって嫌だけど

年賀状、嫌なんだよね

年賀状だけの付き合いの人は徐々に淘汰されたから

今やり取りしてるのは、

中学、高校、大学で親しくしてくれた人達の中でも

縁の切れない数少ない人たち

年賀状にも近況やメッセージを入れてくれる

SNSの見せびらかし文化もどうかと思うけど←これも僻みなのか

私のいじけた心ではその悪意などあるはずもない年賀状の一言メッセージを受け止められないときがあるの

確かに人にはどんな悩みがあるかなんてわからないよ

わからないけど

みんなゆっくり年賀状に近況を書く心持ちがある

それがうらやましいのだ

 私の近況は、いつも同じだから

若くても年を重ねても

働く毎日が延々と続いているだけなのだ

<相変わらず働いてます>

今年もそう書くしかない

ガスレンジでも磨いてから

今日中に終えてしまおう

 

ひとりシネマ ボヘミアンラプソディ

昨日仕事しながら思い立ち

一旦帰宅してから映画館へ

ボヘミアンラプソディ

連休前だし

曲はいいに決まってるし...
くらいの気持ちで出かけたけど

何度も泣きそうになった

 人の人生への感想なんて言えない

 この世を去った人の物語は

やりきれない思慕との戦い

 THIS IS IT 思い出すな

 

救いは終盤、圧巻のライブ再現

有無を言わさない本物感あるの

数週間前に行ったピストルさんのライブもすごかったんだけど

仕事だもんね、本物じゃないとね

やっぱりすごいバンドだったんだなぁ

リアルタイムの時代は少し大人なバンドな気がして聴きこむことはなかったのが悔やまれるけど、いいものは時を経てもいいものだからね

youtubeで浸ろう

因みにイオンの株主優待、いつのまにかイオンシネマの映画鑑賞、いつでも1000円になってた。しかもドリンクorポップコーン付き、わーい

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 あ、細々続けているオンライン英会話のおかげか、聞き取れる言葉が増えてる...気がする